2023年4月15日土曜日

YouTubeを見て退勤後に北海道まで飛んでしまった思い出ー1

 2022年、ゴールデンカムイの連載が終わろうとし、アニメ4期が放映されていた頃。ゴールデンカムイのオープニング映像に感化され、思い付きで北海道まで飛んでしまった。

 これは、目が覚めるように清涼な空気が流れる北の大地の鮮烈な思い出の話である。

一本の動画

 何気ない日常を送っていた私が、ある日ふとYouTubeを見ていると以下の動画が目に飛び込んできた。



 いかがだろうか。白く厳しいにも拘わらず、清涼感溢れる映像に心打たれたことだろう。かくして動画を見終わった時点で、私の胸には「北の大地へ飛ばねばならない」という義務感しかなかった。5分後、私のメールボックスには北海道行きの航空券を予約通知が届いていた。


いざ、北海道へ

 幸いにも、私の勤務地は空港まで30分の場所に立地していた。飛び石連休に合わせて休暇を申請し、何食わぬ顔で出勤し、退勤後30分後には空港の保安検査場に立っていた。北海道に「果てしなく遠い場所」というイメージを抱いていたので、ドキドキしながら「行こうと思えば行ける場所なのだな」との実感を噛みしめていた。スーツのまま飛行機に乗り込み、少しまどろんだと感じた次の瞬間、そこは新千歳空港であった。

 空港に到着すると、事前に送迎を依頼していた北海道在住の友人が待っていた。「4泊5日で向かうので送迎を頼む」とだけ伝えていたため、11月の北海道にリュック一つ、軽装で現れた私を見て「北海道を舐めすぎだ」と早速お叱りの言葉をいただいた。至極もっともな反応である。幸いにもユニクロのコートが異常なまでの防寒性能を発揮し、私は死なずに済んだが、皆様が北海道に向かう際には、キッチリと防寒対策をすることを強くお勧めしたい。


ネオンが煌めく街、札幌の夜

 車で1時間ほど送迎してもらい、私は札幌の地に降り立った。ひとまず有名な場所に連れて行ってくれ、その後夜パフェを食べたい、という私に友人は一言「これがすすきのだ」と言い放った。ネオンが煌めく街、これが大人の世界か!と胸が高鳴る。キャッチに期待するも、誰も声をかけてこなかった。当時の私は知る由もなかったが、「客引き防止条例」が施行されていたらしい。キャッチもないのに自分から店に入れようはずもない。大人を目指す私の目論見は、ここで儚くも崩れ去った。

教科書で見る風景。大人になるには早かった

 兎にも角にも、我々の目的は夜パフェである。途中、アイヌ料理が食いたい、という私の思い付きを一蹴されながら夜パフェを提供する店まで歩く。目に飛び込んできたのは行列であった。行列が長い。長すぎる。札幌を訪れる人間はこれに耐えているのか?ともかく、黙って並んでいるとバーのような場所に通され、パフェが出てきた。

パフェ、珈琲、酒、佐々木

 パフェは余りにも美味しかった。優雅な時間であった。この時間がずっと続けばよいのに、と感じた。しかし、気づけば容器は空になっていた。退店の時間である。時計台を後に、未だ北海道にいる実感を持てないままふらふらと札幌を歩く。翌日以降に期待し、友人宅で眠りについた。(続く)

本当に残念な観光地なのだろうか?

2022年12月29日木曜日

映画「Dr.コトー診療所」を見ました(ネタバレ含む)

ドラマについて未視聴でしたが、Dr.コトー診療所を見てきました( 原作はかじっていました)。印象深かったシーンの感想を書きます。


・剛洋にコトー先生が言葉をかけるシーン

 成績低下で奨学金がもらえず、休学したが復学できないまま医学部を中退したという現状について、人に相談できないまま状況が悪化している様子は、さながら真綿で首を絞められているかのような絶望感があります。医療事務の職の中で人の死を目の当たりにし、ショックのまま島へ帰るも、結局自分から現状について言い出せなかったところにも同じ絶望感を感じました。

 そのような剛洋にコトー先生は、「医者じゃないから助けられなかったと思ったなら、君は医者にならなくてよかったよ」と声をかけます。声を荒げるでもなく、淡々と出てくる言葉としてあまりにも重い言葉だと感じました。ただ、無意味に慰めるでもなくこのように声をかけることができるのは、厳しいように見えて正しいのではないかと思いました。

 なお、原作1巻でコトー先生は「ぼくは人を生かすために医者になったんだ。目の前で死んでいく人を、黙って見てるくらいなら、今すぐ医者をやめるよ!!」と言っており、正にこのシーンと対照的だな、と思いました。

 

・コトー先生が倒れるシーン

 人が倒れているのに島民が棒立ちで、病人に対してもっと頑張ってくれ、と言葉をかけることがあるかはさておき…医者という職業は代わりがきかず、医者でない人間が命に対していかに無力か、ということが如実に表れていたシーンだと感じました。医学の心得がない人間は、あのシーンで棒立ちにはならないまでもおろおろするのが関の山ではないでしょうか。このシーンでも、医者とそれ以外の人との対比が印象的でした。

 

・ラストシーン 

 ハッピーエンドなのか、死の間際に見た幸せな理想の世界なのかは分かりませんでしたが、物語としてはハッピーエンドであってほしいです。


離島医療がテーマの作品ですが、医者とそれ以外の人との住む世界の差も感じました。コロナ禍において戦場のような職場で戦っている医療関係者に感謝を深めるとともに、そのような私は正に、棒立ちしていた島民と同じなのではないか、と感じずにはいられません。

2022年12月28日水曜日

年賀状は最強のコミュニケーションツールである

 おはこんばんにちは。良い年末をお過ごしでしょうか。年賀状のすゝめについて書きます。


なぜ年賀状が最強のコミュニケーションツールなのか

・相手の都合などしったこっちゃなく連絡を取れるツール、それが年賀状

正月という1年で最強のイベントにかこつけて相手に連絡を取ることができます。周知のとおり正月は最強のイベントなので、久しぶりに連絡を取っても怪しまれることはありません。


・相手に返事を強制することがない

今どき年賀状を返さなかったことで陰口をたたかれることはありません。年賀状が下火になってきたからこその利点です。返したいけど面倒な人はLINEで返せばよいのです。


極論、何してるか知りたいけど個人でメッセージを送るほどではないな…という人に連絡を取る手段として、年賀状はピッタリなのです。みなさま、年賀状を出してみませんか?(なお、日本郵政は12月25日までの投函を推奨しています。今から出しても正月には間に合いません。私は当然まだ書いてもいません。ごめんなさい日本郵政。)


皆様、よいお年を。

2022年12月15日木曜日

佐賀に行ってきました(旅程)

 ■旅程

12/3

08:30 博多着

09:00 オリックスレンタカー博多駅博多口店 レンタカーを借りる

10:30 呼子着

観光・食事(河太郎・名護屋城)

12:00 呼子発

12:30 唐津着 旧唐津銀行(唐津市本町1513-15)

観光(旧唐津銀行)

13:30 唐津発

16:15 佐世保着 セイルタワー(長崎県佐世保市上町8−1

観光(セイルタワー / 市民文化ホール)

17:30 佐世保発

18:00 針尾送信所着(長崎県佐世保市針尾中町382

19:00 針尾送信所発

20:00 セントラルホテル武雄温泉駅前着 (佐賀県武雄市武雄町昭和16-12)



12/4

06:30 朝風呂(元湯)

09:00 武雄温泉発

10:00 佐賀着 佐賀城本丸歴史館

観光・食事(佐賀城・本丸歴史館・大隈重信記念館)

13:00 佐賀発

14:10 大宰府着

16:00 大宰府発

16:30 博多着

2022年1月26日水曜日

立山黒部アルペンきっぷで行く北陸旅行 1日目(2021-11-20)

こんにちは。いまだ前回書いたどこでもきっぷについて書き終わってないですが、こちらについても書いていこうと思います。あと、佐渡旅行についても書きたいです。はてなブログかフォートラベルに移植しようかと思っています。

概要

立山黒部アルペンルートに行きたい、ということでJR西日本・JR東海が発売している「立山黒部アルペンきっぷ」を使って旅行してきました。

1日目:京都から金沢へ。友人宅で一泊
2日目:金沢から富山へ。アルペンルートを通り抜け信濃大町に至り一泊。
3日目:信濃大町から糸魚川へ抜け、氷見に至り一泊。
4日目:氷見から高岡・魚津をまわり帰宅。

旅程のポイント(目的)

冬期期間(11月)のアルペンルートを楽しみ、各乗り物も楽しむ
大町山岳博物館で生きたライチョウを見学する
安曇野ちひろ美術館でいわさきちひろの作品を楽しむ
氷見で海鮮を楽しむ
富山中心部を見学し、県庁所在地がどのような感じなのか体験する
魚津埋没林博物館で埋没林を見学する

今回のきっぷについて

立山黒部アルペンきっぷを使った。いろいろコースがあるものの、今回選んだのはJR西日本の往復北陸線コースでお値段は24360円。
京都から金沢までは特急サンダーバードの指定席が往復各1回ずつ、金沢から糸魚川までの区間は北陸新幹線の自由席が使用可能だ。
このきっぷのポイントは、アルペンルートが何度でも乗り降りし放題の点にある。富山地方鉄道の立山駅でこのきっぷを見せると、アルペンルートのフリーきっぷが貰えるのだ。また、大糸線各駅、糸魚川駅、富山駅、金沢駅での途中下車が可能である。
発売期間は例年アルペンルートの開業期間で、連続8日間使用可能ということもあり、途中下車と組み合わせて旅程の自由度が高いところも魅力的だった。

往復北陸線経由コース

アルペンルートのフリー区間

1日目

京都から始発で富山に行くと、アルペンルートや信濃大町での時間が制約されるため、友人に会うのも兼ねて金沢に前泊することにした。
夕方、京都駅からサンダーバードに乗る。人身事故の影響で、一駅前まで来ていた電車を30分待った。再来年には敦賀までしか行けないんだろうな、と思いながらうとうとしていると金沢に着いた。

今回のきっぷ。サンダーバードの指定席券はまだ出してない

昔はサンダーバードで富山まで行けたけど


16:10京都発→18:27金沢着 サンダーバード31号(30分程度遅延)
北陸ロマンで起こされて金沢に到着。2年ぶりくらいの駅前だった。月曜休めば4連休になる直前の金曜日だったためか、どこのご飯屋さんも異常に埋まっていた。おいおいコロナはどうしたという感じである。私も移動していたのであるが。


例の金沢駅

尾山神社。ステンドグラスが綺麗だった。

夜中の金沢城公園。今回も百名城スタンプを逃した。

高校の友人とご飯を食べ、泊めてもらった。友人に会えてとても嬉しかった。次の日からは3日ぶり人生2度目の一人旅である。

2022年1月11日火曜日

JR西日本どこでもきっぷで行く中国地方・1日目(2021-11-26)

こんにちは。JR西日本のフリーきっぷがあったので旅行してきました。

概要

島根に訪れたことがなかったので行きたい、ということでそこを中心に「どこでもきっぷ」を使って旅行しました。

1日目:家から京都・岡山を通過し島根へ。松江から出雲を抜けて大田市で一泊。
2日目:大田市から津和野・岩国を通り広島で一泊。
3日目:広島から呉へ。広島に戻り帰宅。

旅行のポイント(目的)

最後の定期運行国鉄型特急「やくも」(381系)に乗車する
松江城に登城し、残る国宝五城を姫路城のみにする
松江城下町を楽しみ、小泉八雲記念館で展示を学ぶ
11月(神在月)に出雲大社に参拝する
世界遺産:石見銀山を見学する
山陰の小京都:津和野で街並みを楽しみ、森鴎外記念館を訪れる
SLやまぐち号に乗車し、駅弁・車両を楽しむ
錦帯橋を見学する
てつのくじら館で潜水艦の実物を見学する
アレイからすこじまで生きた潜水艦を見学する
平和記念公園を再訪し、原爆に関する展示を学ぶ

今回のきっぷについて

JR西日本のどこでもきっぷを使った。これは前年度のどこでもドアきっぷのJR西日本区間だけバージョンのきっぷで、お値段22000円。これでJR西日本区間の普通電車・特急・新幹線が乗り放題という優れもの。今回は3日間でかなり無理な行程を組み、特急王国の山陰を通ることもあって新幹線・特急をフルに使えるこのきっぷを使用した。

いいきっぷですね

今回のきっぷ


1日目

始発の新快速で新大阪まで行き、山陽新幹線で岡山へ。
(さくら543号 6:50→7:40)


乗ったのはさくらでした。快適

姫路城が見えた


岡山から特急やくもに乗り継ぎ、松江へ。381系に乗りたかった。一度は国鉄型特急に乗ってみたかったので。振り子を感じた。車窓から見える石州瓦、とても良かった。途中で居眠りしてしまったが。3号だけどパノラマグリーンではなかった。残念。

(やくも3号 8:05→10:38)


今となっては最後の定期運行国鉄型特急、やくも


ダクトで前の席はない。足が伸ばせる。



大山が綺麗に見えた。車内放送もあり。

鬼太郎のラッピング車両が。ラッキー


松江に着き、観光案内所で地図を入手しひたすら歩く。松江駅→松江城→武家屋敷→小泉八雲記念館→小泉八雲旧居→松江駅の順。駅が遠い。くにびき大橋、松江大橋、宍道湖大橋を渡った。宍道湖大橋が景色を楽しめてよい。
松江城では3館共通券(1100円)を購入。登って降りるまで構造に飽きることがなかった。城スタンプを押し忘れる痛恨のミス。松本城、弘前城でも同じミスをしたのに学習したいものだ。時間の関係で松江歴史館には寄っていない。

天守の手前には興雲閣という建物がある。当初明治天皇の行在所として作られ、迎賓館として使われたのち今に至る。無料で見学できるしカフェもあるので立ち寄るべき。

武家屋敷は貸し切りだった。鼕(どう)の展示がしてあった。祭りに使う太鼓である。かなり広いので共通券を買ったら見るべきである。

小泉八雲記念館、展示が非常に充実している。日本古来の精神と小泉八雲について滔滔と展示されている。実際に使われていた当時の品々の他、時代ごとの八雲の足跡がパネル、資料にまとめられておりかなり楽しめる。小泉八雲旧居については別料金だが、展示を見た後なら課金して見ておくとなお楽しめると思う。

なお、島根と言えば足立美術館や和鋼博物館もあるが、今回は行程の都合上行けなかった。鉄道フリーきっぷなのでしょうがない。

松江城。生け垣が撤去されたみたい。


構造は非常に面白い


天守より宍道湖を望む


堀。大きいしめっちゃ綺麗。彦根城といい勝負

レトロ建築、興雲閣


小泉八雲旧居。記念館の方もとても良かった。


わりごそばではなく釜揚げそばにした。720円


風がとても強かった


非常に美しい景色


快速アクアライナー(なんかダイヤ改正で廃止になるらしいですね)に乗って出雲市駅まで行く予定だったが、列車の遅れのアナウンスが。駅構内で出雲そばを食べていると出発してしまった。悲しい。そこで一畑電車は松江しんじ湖温泉駅まで歩き、そちらに乗った。駅から電車まですべてにフリーWi-Fiがついている。最高の電車である。通信制限にあえいでいたので非常に嬉しかった。一畑口では平地にもかかわらずスイッチバックする。戦時中その先の鉄道を資源供出した名残らしい。

基本的に松江から出雲大社までは本数もあるし一畑電車を使うべきなのである。車窓も非常に素晴らしい。当初予定通りに出雲大社に着くことができた。松江しんじ湖温泉から出雲大社前まで乗車。
(一畑電車 14:16→15:18 820円)

2016年の新造車両、7000系


出雲大社では良き縁に巡りあえるよう必死にお参りした。なむなむ。2礼4拍手1礼らしく、最初2拍手してたのでやり直した。おみくじを引いたが結構いいことが書いてあった。日が暮れる前に一通り回る。稲佐の浜は護岸工事中だったので行かなかった。稲佐の浜の砂が素鵞社にあるのを確認だけしておいた。床下にあるのでもらう人は気を付けてください。

神祜殿(資料館)も課金して見ておいた。古代本殿の柱、太いな~と思う限り。ほぼ柱を見るために存在する建物。

出雲大社前駅は登録有形文化財。ステンドグラスが美しく、また駅自体も木造改札など趣がある。重要文化財である旧国鉄大社駅は絶賛改修中。また、時間の都合上見に行けず。まあ内部見れないので仕方がない。


鳥居、4つあり別の素材らしい。一応全部見た


拝殿。格調高そう


本殿。あと真ん中に写ってる国旗がデカすぎる

神楽殿。そしてクソデカしめ縄


レトロかつお洒落な出雲大社前駅。


ステンドグラス、美しかった


3丁目の夕陽で使われた電車。内部見学可能

出雲大社から出雲市駅まで行き、普通列車で久手駅に向かう。出雲市駅ではマンホールカードがもらえるが、時間外のためもらえず。
(一畑電車 出雲大社前駅から電鉄出雲市駅 17:01→17:24 500円)
(山陰本線 浜田行き 出雲市駅から久手駅 17:50→18:28)

帰りの一畑電車。2000系。


キハ120 300番台?


ブレた久手駅


ビジネスホテル。もの寂しかった

久手駅で降り、宿泊。素泊まり3900円というだけで選んだが恐ろしく暗い田んぼ道をひたすら歩く羽目になった。徒歩10分のところにローソンがあることは事前確認済みだったが、このときほどコンビニのありがたさを思い知った時はない。というわけで1日目終わり。



2021年12月20日月曜日

【備忘録】ここ数年の京都大学を思い出す #KUAC2021

この記事は、Kyoto University Advent Calendar 2021の20日目の記事です。

リンク


こんばんは。卒業を控え4年を怠惰に過ごしたことに焦燥感のあるもめんです。これを読んでる人で、暇だなあという人はご飯なり遊びなり行きましょう、特に法学部の人にはどんな4年間を過ごしたのか教えてほしいです。

はじめに
試験をおなさけでパスしたけれども、何もわかっていないのだ、という劣等感のかたまりのようになって、おどおどしている自分を呪いながら4年間を振り返ってみると、入学時にはタテカンなどが立ち並んでいたことを思い出しました。その時代から今までを、中にいた人として少しだけかこうと思いました。

2015年より前
私がのんびり中学生活を送っていた頃です。その頃の京都大学のことなど知るよしもありませんが、今に続く国際高等教育院が誕生したのもこの頃です。どんな様子だったのか参考になりそうな記事のリンクを貼っておきます。

2008年 折田先生像についての公式見解

2012年 国際高等教育院設立について当時のブログなど

京都アカデメイア

京都大学新聞

人環教員有志

その他意見

こないだまで折田先生像の記事は公式サイトのものが残っていたように思うのですが、いつの間にかアーカイブしか残っておらず。

2015年
あまり写真を残していませんが、高二の頃オープンキャンパスに行ったみたいです。

当時、正門前はどことなくお祭りのようで吉田寮の方々が怪しげなかき氷を50円で販売しておりました。東一条通はおろか、時計台の前にもデカデカと巨大なタテカンがありそれを避けて時計台を写真に収めた記憶があります。タテカンがいっぱいあった記憶しかありません。電電の講座でオシロスコープに触らせてもらいました。

2017年
浪人中にもかかわらず友人とオープンキャンパスに訪れました。この頃もタテカンは健在でした。百万遍に「タテカン撲滅。」と書いた強烈にデカいタテカンがあったのを覚えています。

2018年
受験時、寮生が近づいてきて「諦めるな!」と絡んできたのを思い出します。彼は生きた猫を右腕に巻いていました。縛り付けていたのでしょうか。猫アレルギーの人もいるので気をつけた方がいいなと思いつつ、寮生はこういうのなんだなあと思いました。センター試験の日には受験生を煽る雪だるまが、本試験時はやはり煽るタテカンが百万遍から東大路通、さらにまわって東一条通までずらりと並んでおりました。折田先生像もあった気がします。百万遍にコタツを出した人がいたのはこの時です。何を考えてたのかは分かりかねますが。


入学直後はまだタテカンが大量にありました。残念ながら写真は撮っていませんが、代わりに桂流しのバスを載せておきます。5月頃になると急にタテカンが少なくなった気がしました。(今調べると京都大学立看板規定が5/1から適用されたようです)

しばらくの間は東一条通と百万遍で新しいタテカンが出ていました。寝看板などはTwitterでよく話題になりました。ですがこれもすぐ当局職員により撤去され、やがて学外のタテカンは百万遍で設置と撤去のイタチごっこの様相になりました。(なお、吉田寮や熊野寮にはタテカンがありますし、学内の指定場所では一定期間タテカンを出すことが現在でも可能です)

撤去されたタテカンは通称「タテカンの墓場」へと運び込まれました。撤去されることを込みで製作されるタテカンをTwitterで眺めるのは面白くもあったものの、お互いムダな労力なのでは無いかと思った覚えもあります。(なお、タテカンに関する個人的な意見は、①京都市の景観規定に違反しているとは思えない②タテカンはサークルなどを宣伝するいい手段である③ただし石垣に立てかけるなとの当局の意見自体は納得できるものである、以上です)

入学時健康診断では、ビラロードと呼ばれるビラ巻きの道で両手いっぱいにサークル勧誘のビラをもらいました。それと同時に新入生は新歓でタダ飯を食ういい機会でもありました。私は体調を崩しており、飯が食べられない状態だったので1つのサークルを除いて新歓には出ませんでしたが、お花見など様々なイベントがありました。新入生が友人を作り新しい活路を開いたり、堕落したりするのを肌で感じておりました。

昼間には総人広場で拡声器を持った人が何やら意見表明をしているのは日常茶飯事でございました。そういえば熊野寮祭については参加していなかったものの何かやっとるなと思ったのを思い出します。

NFの時期について思い出します。私がまともに参加したNFはこの1度きりです。例によって写真がありませんが、どうも別のパソコンにやった気がします。

キャンプファイアが燃え上がり、オーイシマサヨシやSiMのステージが盛り上がっておりました。酒類の提供が問題となっていた時期であり、一応何らかの規制がされていたように思います。最終日であったか、明け方にグラウンドに酒で潰れた抜け殻があったのは壮観でした。なお、この頃は北部構内にて北部祭というものがあり、さらに無法地帯であったという噂が轟いておりました。

クラスでの食品屋台が時計台前に連なり、吉田南のグラウンドにはサークルの食品屋台とステージが並んでおりました。文化部が教室を使って何らかの展示をしていましたが、これは他大学より規模が大きくさすがに京大だなと思ったのを覚えています。記憶に残る展示は、駅寝同好会の駅寝展示など無数です。タテカン実演は迫力がありました。

2019年
入試日にはオルガ先生像が立ち、NF期間中にはお祭り騒ぎが起こっておりました。まだタテカンなどは細々と百万遍に立つ時があったように思います。

この年のトピックとしてはオルガ先生像だと思います。入試日に折田先生像とオルガ像が悪魔合体したオルガ先生像が出現したのですが、9月くらいにそれに関わった人が処分されるのかどうなのかみたいな問題があった気がします。

また、吉田寮に対して訴訟が起こされたのもこの年だった気がします。もうオープンキャンパスの頃にはもどらないだろうなとは思いました。

なお、西部構内には共用室というものがあり、ここで徹夜でボードゲームをしたりしたことがあります。

2020年
皆さんお馴染みの新型コロナウィルスの影響で何もできない、登校すらしなくてよい時期が続きました。私は大学から60km以上離れた土地に住んでいるので、大学には数回しか行っておりません。

新歓、サークル、NFなどあらかたの文化なるものはこの年に消えるだろうなと年の終わりに感じました。サークル活動は秋頃再開されたものの厳しい活動制限があり、規定を無視しない限り実質的にインカレは壊滅状態でした。

また、この年にはCAP制が新入生に導入されたのも話題になったような気がする。CAP上限を超えるととんでもなくしんどいという実感があるので、実際そこまで影響の大きい人はいないのかもしれないがバケモンみたいな人を見ることはできなくなった。

オンライン授業と相まって色々しんどい年だったように思う。なお、お互い慣れないオンライン授業とはいえ当局の2転3転もあって諸々の不具合があったことは事実だったように思う。

2021年
前期は大体オンライン授業が継続し、2020年とあまり変わるところはなかったように思う。後期からは対面授業が始まったが、これからの学生文化がどうなるかは分からない。

2020年に熊野寮祭で時計台に登った人が処分されたり、弾圧が強まったという声もあった。今後西部構内についてもいろいろ起こるんじゃないかなとは思っているが、ある程度の部分までは時代の流れに沿ってるだけなんじゃないかなとも思う。

もし全部読んでくださった人がいればお疲れ様でした。駄文失礼いたしました。