行った経緯は以下の通りです。
私「土倉鉱山行きたいねんけどどう」
友人「ええよ」
というわけで山奥を運転してもらい向かいました。
Googleマップに沿っていくと、途中でこれ道か?みたいな分岐点がありました。(気づかず通り過ぎましたが。)小さい、誰が気づくねんというような看板が目印です。さらに奥へ行くといきなりお目当てのものがありました。
おおーって感じですね。しっかり基礎が残ってます。雨でジトジトしてましたが雰囲気がありました。昔は登れたっぽいんですけど、いまは立入禁止になってました。コンクリは危ないので。
説明の看板があって、意外ときちんと手入れされてるんだなと感じました。夏に来たので草が茂ってましたが、雪が積もる前の冬に行ったら枯れててよく見えるんじゃないかと思いました。
坑道への入口です。封鎖されてます。
この手前が少し広場になっていて、バスの転回場になっていたみたいです。
坑道の左手に山の方へ続く道があったのでしばらく歩きました。えらい山の中に入っていくので怖くなって引き返しましたが、自然は感じられます。所々に石垣があって(写真に写ってます。分かりますか?)、ここにも集落があったことが偲ばれますがほとんど山と同化していました。400人とか住んでいたのが想像できないです。
楽しかったです。それでは。
参考
当時の人への聞き取り
詳しく調べてる人のブログ
資料編が面白かったやつ
最近見た記事(リンク切れたら知りません。)
産経新聞
京都新聞
中日新聞
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